神の子の里:羽咋市神子原地区(はくいし・みこはら)

7月、鮮やかな緑もまぶしい季節に、能登半島へ出かけた。 金沢市内より車で約1時間。海岸線を眺めながら進む。海からの潮風の影響か、ほかの木より平均的に高い枝が枯れているのが印象的だった。

今回の視察の目的の一つは、石川県の里山を見ること。石川県では、1980年より金沢市に夕日寺健民自然園をオープンして以来、里山里海の保全、利用に積極的に取り組んできた。2004年にはふるさと石川の環境を守り育てる条例(2004年)に里山保全に関する条項が導入、里山保全再生協定制度の創設などが行われている。今年10月に名古屋で行われるCOP10では、里山を未来に継承すべき人間と自然の共生モデルとして発信する予定だ。

石川県能登半島には石川県が保全を目指す里山地区が複数存在する。今回訪問したのは、能登半島入口に位置する羽咋市神子原地区。石川県最大の約110ヘクタールの棚田が広がる地域だ。

cmenu-48-p01.jpg 神子原地区の棚田風景

神子原地区の棚田の歴史は古く、鎌倉・室町時代の古文書にも登場する。巨大なため池が山の上にあり、清らかな水が田んぼに流れ込む。その水は、飲料水としても使用可能だ。

神子原地区は昼夜の寒暖差が激しい上に、山にある貯水池から流れる飲料用にも使用できる清らかな水で作られるコシヒカリ「神子原米」は、その地名にあやかって、ローマ教皇に毎年献上される、いわゆるブランド米の生産地としても有名だ。

「日本は面積当たりの農薬使用量は世界一なんです」と話すのは、羽咋市農林水産課 1.5次産業振興係の高野さん。1.5次産業とは、1次産業である農業・漁業を2次産業化させ、生産から販売までを生産者として責任を持って消費者と直結する試みを指す。
神子原地区に限らず、日本の農村では現在過疎化、離村、高齢化、農家所得の減少という大きな課題を抱えている。羽咋市では、1.5次産業振興係を設置して、農業をビジネスとして成り立たせる戦略つくりや、空き農家と農地をセットで賃貸する移住支援活動を行っている。

神子原米の説明をする高野さん cmenu-48-p02.jpg

「農家の問題は、自分が作った食糧に、自分で値段をつけられないこと。安く買いたたかれてしまうため、非常に厳しい財政状況になり、補助金に頼らざるを得ません。その結果、農業指導の一環として大量に農薬を使用したり、安価な商品を作る。そうではなくて、生産者自身が値段を決め、自分が販売までを行う。これは彼ら自身の意欲にもつながるんです」

高野さんは、神子原に大阪から移り住んだ屋後さんたちと、無農薬・自然栽培を奨励してきた。現在棚田にはカニやカエル、ヤゴなどを見ることができる。
日本では米栽培の際、苗を作ることから始める。ところが、育苗箱剤と呼ばれる農薬の一部で、ヤゴを絶滅させることが近年わかってきた。

「自然には雑草と言う言葉も害虫もない。
すべての命は、意味を持っている。」
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「もともと田畑にいる生き物を、私たちは害虫として駆除してきました。無農薬にしたくても、周辺の田畑で農薬がまかれれば、風に乗って農薬が散布するので、無農薬ということが難しくなります。
害虫は世の中には存在しないんです。雑草といわれている草にも、意味がある。私たちがそのことを知らないだけなんです」

「人工衛星を使ったコメの品質調査の取り組みもその一つです。市で人工衛星調査を請け負うことで、市の収入にもつながっています。また、人工衛星からは葉の上に止まっているヤゴの数まで測定できることから、田畑の環境状況の測定もできます。無農薬の畑には1反当り50~60匹の数多くのヤゴがいるが、箱剤が使われた田畑にはヤゴがほとんどいないんですよ」

過疎・高齢化問題からの脱却

神子原地区が抱える問題の一つが、過疎化・高齢化現象だ。日本各地で言われるように、農村地帯での過疎化・高齢化は深刻である。神子原地区は、かつては1000人を超えていた人口も現在は506人になり、高齢化も進行していた。過疎化・高齢化の進行は、地区内での集落活動を停滞させ過疎化・高齢化の進行による寄り合いや集落活動の停滞等から、地域の活力自体が低下し、地域住民の力だけでは、地域の活力自体が低下する恐れがある。

高齢化の原因のひとつは、農業の疲弊があると高野さんは繰り返し指摘した。 「補助金をもらっているということは、農業が事業として成り立たないことを意味しています。米のブランド化やフランス人ソムリエによる日本酒造りは、農業をビジネスとして成り立たせるための取り組みなんです。」

「神子原地区では、若者の受け入れを積極的に行っています。移住を希望する若者に対して、地区の代表者が面接を行って、受け入れの可否を決定しています。受け入れ前に面接を行うことで、村の人々との共同作業や伝統的な行事に参加し、人々と一緒に暮らすことが可能か、きちんと見極めることができる。役所が斡旋して、無制限に受け入れないことで、結果として地域に溶け込み、生活の根を張ることを可能にしたんです」

現在、神子原地区では高齢化率も平成17年の54%から47.5%にまで低下した。神子原地区に5年前に引っ越してカフェ「神音(かのん)」を運営する男性は、子どもの世話を地域全体がしてくれると話した。

cmenu-48-p04.jpg 神音の店内から外を見る。
どこか懐かしい気持ちになるカフェだ。

「東京だと誘拐罪になるかもしれないけれど、ここはお祖母ちゃんがひょいとやってきて、子どもをおんぶして世話してくれる。彼らにしてみると、ぼくたちの子ども、ではなくて、村の子どもなんです」

「村の問題を考えると最後は家族の問題になります。小さな家のことを考えると結果的に共同体の問題、国の問題になる。神子原のように共同体が受け入れ、ともに生きていくやり方は、村だけではない、国や世界の問題でもあるんです」

食べものは生きものでもある

今回の視察の中でいろいろな話が飛び出したが、その中で話題になったのが、私たちが口にする食べものも、生き物だ、という当たり前の事実の確認だ。

地面の下では、いろいろなことが起きている。虫やバクテリア、菌類が活発に活動することで、植物への栄養が生まれる。栄養素を得た植物が大きく成長し、その植物の花の蜜を求めてチョウやハチが飛んでくる。チョウやハチによって受粉して生まれた果実が人間や動物、虫の食べ物となる。

すべてがつながり、ひとつの生態系を生み出している。
羽咋でも、昭和30年代までドジョウが採れた。ドジョウを食べることで、ドジョウが生育する環境を大切にしようという気持ちにもなった。ドジョウを餌とするトキも羽咋ではかつては当たり前の光景だった。能登半島は、本州で最後に野生のトキが目撃された場所でもある。

まれびと論(他界から、時を定めて村落共同体を訪れ、人々を祝福する霊的存在。「まれびと」に対する信仰が、日本の民俗信仰の根幹にあると考えられた)を展開した民俗学者・折口信夫(おりぐち・しのぶ)は、海彦・山彦伝説の原型を、能登半島に見た。人と神の関係が、能登では、神が住む地を人が必要とし、人が住む地に神が訪れていると考えられた。

羽咋の豊かな自然や人々の共同体意識、生き物がもたらす命の恵みへの感謝の念、これらは海外の研究者にもエデンの園と称されている。

この豊饒な地では、人がコメを作るのではない。米が稲を育てるのであるという考えが深く浸透している。自然への敬う心と感謝の念。この思いゆえに水質を汚し、畑を農薬で汚染するという事態を回避できたのかもしれない。

川辺近くにいたアマガエル cmenu-48-p05.jpg

かつて川は透明であり、きれいであればあるほど良いと考えられた。しかし、きれいすぎる水には生命が生きることは困難である。適度に汚染された河川の中でプランクトンが育ち、魚などのエサとなる。タニシやゲンゴロウもエサを手に入れることが可能になる。生物の命の循環は、人の手の介入を待たずに、立派に機能している。

イカリモンハンミョウ:地元の理解の重要性

今回の視察では、視察先で偶然出会ったNPO法人日本中国朱鷺保護協会の事務局長・西屋さんに柴垣海岸に生息する絶滅危惧種・イカリモンハンミョウについて話を伺う機会があった。

西屋さんは、「いしかわ自然学校」「いしかわ自然学校」でインストラクターも務めている。かつて能登半島に生息した野生のトキの資料収集などを目的に生まれた保護協会だったが、それだけではなく、トキを含めたあらゆる命が保護され、守られることを理解するために、能登の動植物の保護や、子どもたちへの学習の機会の提供に努めている。

cmenu-48-p06.jpg 西屋さん。
突然のお願いにもかかわらず、
快くイカリモンハンミョウについて話してくれた。

「地球は生命体がある星。そこでなぜ殺し合いをするのか。自分が生きやすい世の中は、あらゆる生命体にとっても生きやすい世の中であるべきです」と西屋さんが語ってくれた。

イカリモンハンミョウは本州では柴垣海岸の約2キロの距離にわずかに生息している。能登以外では、九州の鹿児島、宮崎、大分に見られるのみだ。

イカリモンハンミョウの生態には不明な点も多い。孵化してから2年を砂の中で過ごしたイカリモンハンミョウは、6月中旬には砂の上に姿を現す。それから8月までの2か月余りが繁殖期だ。交尾をしてその場で卵を産むといわれているが、詳細は分からない。

しかし、この砂浜海岸は 海から波で打ち上がる海藻、海藻を捕食する微生物、微生物を餌とするイカリモンハンミョウが生息するなど 安定した食物連朝が続く自然豊かな海岸であり、数を減らすことでしか助けを訴えることが出来ない生きものを保護するには、海岸線への車の乗り入れを禁止することだ。しかし、古くから地元の人にとって波にうち寄せるワカメやイカを拾い集めることは、重要な生活の糧を手に入れることにつながる。

まだまだ反対も多い試みだが、現在地域の人に少なくとも3年間、車での立ち入りを禁止したいと西屋さんは語る。「少なくとも3年、イカリモンハンミョウの生息地に車を入れないでほしいとお願いしています。根気よく、地元と話し合い、進めていくしかありません」

立ち入り禁止を呼び掛ける看板 cmenu-48-p07.jpg

地域の理解を得、共同体全員で取り組むことは、保護の徹底にもつながるほか、地域全体の意識啓発にも役立てられる。
ひとつひとつの試みが行われることで、能登半島全体の生物多様性保全につながることが期待される。

cmenu-48-p08.jpg 柴垣海岸にて

【注】イカリモンハンミョウを観察したい方には事前に連絡を頂ければ案内しますが、石川県指定絶滅危惧種1類のイカリモンハンミョウを無断で捕獲すると、「1年以下の懲役若しくは50万円以下の罰金」という罰則がありますので、無断で捕獲して悲しい人生にならないよう、また飼育方法も確立されていませんので、絶対に持ち帰らないことをお願いします。 お問い合わせ:いしかわ自然学校(インストラクター 西屋 馨)